「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」
松尾芭蕉が平泉で詠んだこの一句は、どこか儚く、しかし不思議な安らぎをたたえています。
かつて栄華を誇った奥州藤原氏と、義経の最期の舞台となった平泉。その静けさに惹かれて、私は一人、旅に出ました。
歴史が静かに息づく町、平泉へ
岩手県南部、一関から電車でたった10分ほど。
小さな平泉駅に降り立つと、目の前に広がるのは驚くほど静かな町並み。
かつてここは「みちのくの都」とも呼ばれ、京に匹敵するほどの文化都市として栄えました。
その栄光を築いたのが、奥州藤原氏。源平合戦の時代に、東北に独自の文化圏を築いた一族です。
しかしその繁栄はわずか100年あまりで終わりを迎えます。
藤原氏三代の庇護のもとに匿われていた源義経が追い詰められ、この地で自害。
やがて鎌倉幕府の勢力が東北にも及び、平泉は歴史の表舞台から姿を消していきました。
独自の文化圏だったため、なかなか表舞台に知られない感じですが、1993年に一度NHK大河ドラマになったので、記憶にある方もいらっしゃるかと思います。
そんな“夢の跡”を、私はゆっくりと歩いてみることにしました。
中尊寺の杉並木を歩く——金色堂の静謐
平泉駅からバスで数分、または歩いて20分ほどで中尊寺へ。天台宗のお寺です。
門をくぐると、そこからはゆるやかな上り坂。両脇にそびえる杉の巨木が、まるで時の壁のように感じられます。
この参道を歩いていると、まるで過去にタイムスリップしたかのような感覚になるのです。
中尊寺といえば金色堂。教科書にも載っていましたね。
金箔に覆われたその堂は、奥州藤原氏三代の理想を体現する浄土世界の象徴。
煌びやかでありながら、不思議と心が落ち着くのは、堂の中に流れる静かな時間のせいかもしれません。
併設された宝物館「讃衡蔵(さんこうぞう)」では、藤原氏ゆかりの仏像や経典もじっくり見ることができます。
どの品にも当時の美意識と技術の高さがにじんでいて、平泉が単なる地方都市ではなかったことを物語っています。
毛越寺の庭園で、風を聞く時間
次に向かったのは、中尊寺から歩いて10分ほどの場所にある毛越寺(もうつうじ)。
ここは中尊寺とはまた違った静けさが漂う場所です。
特筆すべきは、池泉回遊式の浄土庭園。
大きな池のまわりを歩くと、水面に空が映り、風に揺れる木々が音を立てて応えてくれるよう。
この庭園は、平安時代の「極楽浄土」の思想を目に見えるかたちで表現したといわれています。
この日は人も少なく、ベンチに座ってゆっくりと庭を眺めているだけで心が洗われるような気持ちになりました。
スマホを手放して、ただ風を聞く時間。都会ではなかなか味わえない贅沢です。
平泉の味と出会う——素朴な郷土料理
お腹が空いたら、平泉ならではの郷土料理にも注目。
この地域には“もち文化”が根付いており、祝いごとにも日常にもお餅が登場します。
特に「けんちん餅」や「あんこ餅」「くるみ餅」など、素朴で懐かしい味わいが多く、一人でもほっこりできる優しさがあります。
駅前の食堂では、ミニわんこそばと餅のセットをいただきました。
そばの軽やかさと餅の素朴な甘さがちょうどいいバランス。旅の疲れをそっと癒してくれました。
一人旅にちょうどいい宿泊地は?
平泉には小規模な旅館や民宿が点在していますが、アクセスや夕食事情を考えると一ノ関駅周辺で宿を取るのもおすすめ。
新幹線も停まり、飲食店やコンビニも多く、女性の一人旅でも安心です。観光地から少し離れる分、旅の夜がとても穏やかになるのも魅力のひとつです。
賢治と平泉——見えない世界を信じた人々の地へ
旅の途中でふと思い出したのは、宮沢賢治のことでした。
彼が信じたのは、法華経に説かれる「すべての命が救われる世界」。
その祈りのような思想は、実はこの平泉ともどこか響き合っている気がしたのです。
たとえば、中尊寺の金色堂が表していた“浄土”という理想の世界。
それは仏の力によってすべての人が救われる場所。
一方、賢治が童話の中で描いた銀河の彼方や動物たちの言葉が交わされる世界も、救済と調和の宇宙観に満ちています。
宗派は異なるけれど、「人はどこから来て、どこへ向かうのか」という問いに、想像力と信仰で向き合った人々。
そんなことを考えながら、中尊寺の杉並木を歩くと、不思議と足どりが軽くなるような気がしました。
賢治の言葉と共に遠野へ
平泉の旅を終えた私は、宮沢賢治のふるさと・花巻、そして民話の里・遠野へ向かいました。
遠野の自然の中を歩いていると、どこかで「イーハトーブ」という不思議な地名が浮かびます。
それは賢治が夢見た理想郷の名であり、東北の風土と彼の信仰が混ざりあった世界。
遠野に伝わる座敷童や河童の話を聞きながら、ふと思うのです。
見えないものを信じる心が、この東北の風土をずっと支えてきたのかもしれない、と。
旅を終えて——“夢の跡”が今に残る場所
平泉の旅を終えて感じたのは、「静けさは豊かさ」だということ。
にぎやかな観光地にはない、ゆるやかで、心にじんわりと染みてくるような時間。
奥州藤原氏が夢見た理想の都は、確かにここにあった。そして今もその静けさは、旅人の心を包み込んでくれます。
ひとりで来たからこそ気づけたこと。
次にどこを旅しても、この平泉の“静けさ”を、きっと私は忘れないと思います。
そして平泉の金色堂も、花巻の童話も、遠野の昔話も、すべては見えないものと共に生きてきた人々の証。
そう思うと、旅のすべてが繋がってくるように感じました。
「雨ニモマケズ」——宮沢賢治が手帳に記したこの詩のように、
強くなくても、まっすぐで、やさしい気持ちで、ただ今日を生きていく。
そんな静かな祈りが、今も岩手の地にはそっと残っているような気がします。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
——宮沢賢治『農民芸術概論綱要』の一文です。なかなか深い。
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